新家達弥

㈳技術知財経営支援センター 会員

― 「業務推進と人間学」 ―

 尊敬する経営者のひとから「業務推進と人間学」は重要であると教えられた。
 業務推進に当たっては、本質の見極めと考え方が大切であり、そのためには「人間学」を修徳することが肝要であり、「知識の学問」と「智慧の学問」・「徳慧の学問」の人間学を学ぶことであると言われた。その先輩の独自の見識かもしれないが、この「知識の学問と人間学」について経営に関係する人々には参考になると思い、紹介したい。

知識の学問は、理解力・記憶力・判断力・推理力などにより誰でも一通り出来るもので、子供でも大人でも善人でも悪人でも、程度の差はあるが誰でも習得できる。その意味では努力や時間をかけることで得られる機械的な能力と見なせる。
 知識の学問は、会社によっては研修プログラムが計画・実施されており、研修の分野とその内容についてもかなり親切に指導されていることが多い。しかしこれだけで十分とは言えず、これをベースにして自分で必要な知識を勉強して身に着けて行くことが必要である。
 一つの仕事をするにはいろいろな知識が必要になるが、それぞれの知識には考え方があり、これを理解して各々の知識を関係付けで勉強しておくと、理解が深くなり仕事の失敗も少なく成る。先輩は、単なる知識の羅列でなく全体を把握した理解力が重要であると強調していた。
智慧の学問は、人生経験を積み、思索反省を重ねて、人間としてにじみ出てくるもっとも直観的で人格的な学問である。その意味で知識の学問より智慧の学問になるほど生活的・精神的・人格的な要素となってくると言える。どの様な経験をし、それが人格として現れてくるか、その人の本質に近いものと考えられ、才知は枝葉と見なされる。
徳慧の学問は、智慧の学問を更に深めると、普通では容易に得られない徳に根差した、徳の表れでもある徳慧(徳があり賢いこと)の学問になる。これは聖賢(知識や人柄が最もすぐれた人)の学と言える。小生のような凡人は容易に修徳することができないが極めたい学問でもある。
 先輩は、この知識の学問と人間学(智慧と徳慧の学問)とが渾然一体となることで、良い仕事、良い社会人、心の安定した生活が出来、立派な経営者になるためにはこの精神生活を忘れてはならないと強調した。我々は、仕事に役立つ知識の習得になりがちであるが、それだけではなく並行して人間学の修得も忘れてはならない。

 先輩は、業務推進の考え方についても述べているので以下に紹介したい。
① 本質の見極めと考え方が重要
・時代のながれをよく見る事;時代の流れは早い。栄枯盛衰は世の常である。その本質をよく見る事。
・利は義の和である;義(人として守るべき正しい道)の中に利は含まれている。会社の活動で利益を出すことは社会への貢献に通じており、それは従業員の生活確保でもある。社会・会社・従業員の三者は共存している。会社が製品やサービスを社会に提供することで、お客の事業や生活に役立っていることは、立派な社会貢献であり、そこで得られる利は正しいことである。
・考え方は常に整理しておく;思考の三原則(目先と長期的、一面的と多面的、枝葉末節と根本的)を忘れずに、会社の方針や業務全体の流れを理解する。
・責任の明確化;現在の仕事を全員がきちんとやっているか? 責任が不明確では誰も仕事をやらない。仕事をすれば失敗もあるが、失敗は仕事をやっている証でもある。上長は部下の責任をとり、一緒に対策をとれ。それが部下の教育の最善の場でもある。
② 仕事は自分がやるのだ
・やろうと思う人間はやれる方法を考え、やる気のない人間はやれない方法を考える;忙しくてできないと言うな。「忙中閑あり」。やるべき事をやるために、遅らせるもの、やらないことを決め直して明確にするのが上長である管理者の仕事。全部は無理。
・率先垂範;まず自分の責任を果たす。部下は上長の背を見て育つ。最終責任は自分がとるから仕事をやれ、と部下に言えない人間は管理者になれない。
・即決即断;決めないことは罪悪である。部下が迷惑する。間違っていたら早く直せばよい。
・見える管理が大切;見えないと遅れていても分からない。問題点も分からない。仕事が落着するまでのストーリーをつくり、完了させよ。中途半端は良くない。

 知識の学問を究めれば、その分野のスペシャリストになれるであろう。しかし人間学を究めることはスペシャリストからジェネラリストに、そして真のマネージャーに成長しなければならない。経営学とは奥深い学問である。

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